用語集

止利仏師をとりまく人々

推古天皇

聖徳太子の叔母で、歴代最初の女性天皇。在位中には「冠位十二階」「憲法十七条」の制定、遣隋使の派遣など、政治・経済両面にわたって改革を推進した。

聖徳太子

推古天皇の摂政として蘇我馬子とともに内政・外交に尽力した。日本の仏教の礎を築いた人物。

蘇我馬子

4代の天皇に仕えて政治を主導し、蘇我氏の全盛期を築いた。飛鳥寺の造営など、仏教興隆の方針を進めた。蘇我氏と鞍作氏は密接な関係にあったと考えられている。

司馬達等

止利仏師の祖父。継体天皇年(522)に日本に渡来した。草堂を結び仏像を安置するなど、仏教を深く信仰した。

鞍作多須奈

止利仏師の父。父司馬達等とともに仏教を信仰し自らも出家して「德齊法師」と呼ばれた。坂田寺を建立し、丈六の薬師三尊像を造った。

鞍作福利

止利仏師の子ともいわれるが定かではない。推古天皇年(607)に派遣された遣隋使に小野妹子の通事(通訳)として同行した。その後、帰国しなかったとされる。

司馬達等 - 鞍作多須奈 - 鞍作鳥(止利仏師)

※なぜ「仏作」ではなく「鞍作」?

鞍をはじめとする馬具は、権威を象徴するものとして、木工、金工、繍工など、当時の技術の粋を集めた製品でした。馬具づくりに長けた、つまり多岐にわたる最新技術と知識を持った鞍作氏が、造寺造仏の要請に応えるべく、鞍(馬具)つくりから仏(寺・仏像)つくりへと、時代の変遷とともにその活躍の場を移していきました。

天生ゆかりの文学と藝術

さあ、これからが名代の天生峠と心得たから、
こっちもその気になって、何しろ暑いので、
喘ぎながらまず草鞋の紐を締直した。
「高野聖」より

「高野聖」

泉鏡花が明治年(1900)に69『新小説』に発表。語り手の旅僧が敦賀の宿で泊まり合わせた「私」に、かつて天生峠で巡り会った、怪奇な出来事を語って聞かせる。旅僧の旅程では天生峠は地理的に合わないが、白水の滝や、帰雲城伝説を想起させる記述も作中に出てくる。

泉鏡花(1873 – 1939)

小説家。金沢に生まれる。尾崎紅葉の門下。神秘的、浪漫的世界を展開した。

この風景を描けという声が、虚空の何処からか聞こえて来るように感じた。
『東山魁夷全集第8巻山雲濤声』「制作ノート」より

東山魁夷(1908 – 1999)

日本画家。横浜に生まれる。年に文化勲章を受章。
東山魁夷は唐招提寺御影堂の壁画を描くにあたり日本各地で写生を行なった。「上段の間」の「山雲」取材のため、長野、富山、そして飛騨各地でも多くの山々を見てきた魁夷は、霧につつまれた天生峠を目の前にしたとき「この風景を描け」という声が虚空の何処かから聞こえたという。

止利仏師

生没年不詳。飛鳥時代の渡来系の仏師、技術者。名は鳥とも記される。姓は村主。司馬達等の孫で、鞍部多須奈の子。推古天皇年(606)、飛鳥寺(元興寺)の銅と繍の丈六仏像各体をつくり、その功により大仁位と近江国坂田郡の水田をあたえられる。この水田をもって坂田寺(金剛寺)を建立する。
飛鳥大仏や法隆寺金堂釈迦三尊像をつくった飛鳥時代を代表する仏師で、日本史上最初に名前が残る仏師でもある。
飛騨河合には全国で唯一、止利仏師の生誕伝承が残っている。

「トリ」とは?

鞍をはじめとする馬具は、権威を象徴するものとして、木工、金工、繍工など、当時の技術の粋を集めた製品でした。馬具づくりに長けた、つまり多岐にわたる最新技術と知識を持った鞍作氏が、造寺造仏の要請に応えるべく、鞍(馬具)つくりから仏(寺・仏像)つくりへと、時代の変遷とともにその活躍の場を移していったのでしょう。

「止利派」・「止利様式」とは?

法隆寺とその周辺には、金堂釈迦三尊像と形・作風や鋳造の技法がよく似た金銅仏が伝わっています。これらは止利あるいはその周辺の作者によって同じ工房で製作されたとみられ、「止利派」の仏像と呼ばれています。
止利仏師彫刻の作品スタイルは、「止利様式」と呼ばれています。着衣の衣文が左右対称、面長の顔立ち、杏仁様の眼(アーモンドアイ)、仰月様(口の左右が上向き)の唇などが特徴として挙げられます。

飛騨匠

飛騨匠とは、もともとは令の中に飛騨一国を対象とした特例的な条文に規定された工匠のことであった。律令体制の崩壊とともに、制度として徴用された飛騨匠は姿を消す。しかし、飛騨匠の確かな技術と堅実な働きぶりは、『今昔物語集』や『栄花物語』など文学や記録、各地に伝わる建造物の由来の中で語り継がれ、いつしか飛騨匠は木工技術者の代名詞となった。現在、飛騨では町並みや建造物、祭屋台、そして家具など、匠の技術の高さを窺い知ることができるものが数多く残っている。

税を免じてまでも必要とされた 飛騨の匠の技術

養老賦役令斐陀国条

養老賦役令には、飛騨国のみを対象とした条文がある。庸・調の税を免ずる代わりに飛騨国からは匠丁を差し出すよう規定されている。いわゆる飛騨工(匠)制度である。発掘調査により飛騨には多くの古代寺院が存在していたことが明らかとなっているが、その建物構造は都との類似も指摘されている。飛騨工制度を通じ、都と飛騨との間に技術の交流と促進があった。

英語訳もされた江戸時代のベストセラー本 『飛騨匠物語』

石川雅望作の読本で、画は葛飾北斎による。六巻六冊。 1808年(文化5)刊。飛騨の名工猪名部墨縄が弟子の檜前松光とともに蓬莱山の神仙から授けられた工技をもって数々の問題を解決していく。登場人物の名前や話題は、『万葉集』『新猿楽記』『今昔物語集』など飛騨匠に関するものから採用されている。 1912年には F・V・ディキンズによって本書の英訳本がイギリスで発刊された。